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久留米織の織布・製品製造・販売
昭和35年頃より、久留米絣が全国的に知られていることから「久留米はんてん」と称するようになります。
今でこそ純国産の久留米はんてんの数は少なくなっておりますが、
最盛期には300万枚を超える久留米はんてんが製造・販売されていました。
現在の布団に近い『夜着(かいまき)』が誕生
着物の中に木綿わたを入れて布団のようにして使い始めました。半纏のような形が布団の始まりです
綿花の国内生産の発展とともに寝具としての夜着や布団の生産が始まる。 一般庶民には到底届かないような超高級品でした。
今のような布団の形が出来上がりました。一般の人も布団に寝れるようになる。
織物業者による綿入りはんてんの製造開始。
寝るときの掻巻や長丹前から冬の防寒着としての「綿入りはんてん」の普及が始まる。
久留米の卸商が販売を開始。久留米絣が有名であったことで「久留米はんてん」と称するようになった。
革新織機が入り、織元がはんてんを製造するようになった。
この頃より、関西地区(後に関東、全国区に販売が始まり全国的に販売が始まる)
筑後地区の織物が盛んになり「筑後染織協同組合」が設立される。
久留米はんてん協同組合設立
産地全体で綿入りはんてんの生産量が300万枚を超える。
大量生産で手頃な価格で販売できた為、綿入りはんてんの製造としてほぼ全国を占めるようになる。
時代背景の変化と住宅事情の変化、また生産背景の変化もあり昭和時期のような生産の時代は終了しました。
国内生産の見直しもあり、海外生産の商品とは競合は無くなりました。当社の久留米はんてんは十分な検品と品質重視した物づくりを心がけております。